FLORIOGRAPHY「花言葉は誰が何のために作ったの?」 秘密のコミュニケーションの歴史

「花言葉」は辞書だった?

このサイトでも紹介しているボタニカル・インスピレーションのカードは、19世紀のビクトリア朝時代に発展した花言葉からインスピレーションを受けています。

花言葉はフロリオグラフィとも呼ばれ、1800年代には花言葉の意味を体系化した辞書が数多く出版されていました。

 

現存する花言葉辞典の中でも、1869年に出版されたジョン・H・イングラムによる『フローラ・シンボリカ あるいは花の言葉と感情』には、100種以上の花言葉が詳しくが紹介されています。

ボタニカル・インスピレーションカードの作者もこの本からインスピレーションを得ていたのか、カードの中にあるエピソードもいくつか含まれています。素敵な挿絵や花束のアレンジメント例もあり、とてもクリエイティブなものだったことがわかります。

他にもコーネル大学に保存されている書籍だけで100冊近くの花言葉に関する本が残されていて、19世紀だけで400〜500冊の書籍が出版されたそうです。

ビクトリア時代の人々が花束を眺めながら、花言葉辞典のページをめくっていたと想像してみると楽しそうですが、この話には続きがあります。

 

 

花言葉の元になったトルコの「セラム」とは?

植物や花にその地域の習慣と結びついた意味を持たせることは、世界中で古くから行われています。しかし、この時代のイギリスやフランスの社交界で花言葉が流行した背景には、ヨーロッパの厳格な社会が関係していました。

 

ヨーロッパの花言葉の歴史は、18世紀のイギリスの貴族メアリー・モンタギューがトルコを訪れたことに起源を持ちます。

モンタギュー夫人は外交官の夫とともにオスマン帝国へ赴き、帰国後にトルコの習慣である贈り物を使ったコミュニケーションをイギリスの貴族たちに伝えています。この旅行中に書かれた58通の手紙は、1763年に『Turkish Embassy Letters(トルコ大使館の手紙)』として出版されました。

モンタギュー夫人の手紙には、「色や花、物を贈り合ってメッセージやニュースまで送ることができるのです!」と、暗号文で書かれたラブレターが紹介されています。

これは1688年にフランス大使の書記官が残した『Le Secretaire Turc(トルコの書記官)』にも詳細が記録されています。

 

この非言語コミュニケーションは、”Selam(セラム)”と呼ばれるオスマン帝国の宮廷内や貴族の間で使われていた情報を伝える方法で、特定の小物に一編の詩の意味を持たせ、色や配置、動作を組み合わせた暗号文の役割がありました。

セラムは機密性が高く、言葉では表現しにくい内容にも適していたため、外国との交渉や宮廷内の恋人たちが愛を伝える方法として利用されていました。

その中から花に関する言葉を抜き出したものが「花言葉」として、ヨーロッパの社交界で独自の進化を遂げていきます。

 

「花言葉」が普及する前に書かれたクリストファー・スマートの詩

 

花の言葉が存在している。どんな花にも確かな理由があり、花はエレガントな表現を越える力を持っている。

Christopher Smart, Jubilate Agno(1759〜1763)より

 

19世紀に入り花言葉の本が出版され始めると、1819年にフランスでシャルロット・ド・ラトゥールが書いた『Le Langage des Fleurs(花の言葉)』の刊行をきっかけに、花言葉の文化が急速に花開きます。

当時の貴族社会では厳格な礼儀作法に従うことが求められ、社交の場で本音を話すことは難しく、とくに女性は一家の評判のために言葉数が少ないことが推奨されていました。

外国から輸入された花々は装飾のためだけではなく、珍しい異国の宮廷文化を取り入れ、花束を贈り合うことで女性同士の友情や愛情表現(ときには悪態)や、恋人へのメッセージを送る手段となりました。

 

花言葉には神話や植物学に基づいた意味と、編集者の創作や遊び心から生まれたものが混在しています。

掲載される花の数は増え続け、中国や日本などアジアの花言葉も取り入れられたことで複数の意味を持つようになり、セラムのように動作を含む作法も生まれ、動作を逆にすることで真逆の意味も加えられるようになりました。

ビクトリア女王が花を愛していたことも大きな影響を与え、花言葉はこの時代のヨーロッパ諸国や北米の芸術作品や文学、とくに詩や小説の中に多く見られます。

どちらかといえば、花言葉は詩を理解するための教養として広まった側面もありますが、こうした文化が現代まで受け継がれ、結婚式の花飾りや花嫁のブーケが一般的になったり、特別な日に感謝や愛情を表す方法として花を贈ることが習慣になったのはご存知の通りだと思います。

 

 

ロマン主義から生まれた「花言葉」

19世紀のヨーロッパは産業革命の発展により、植民地の拡大や文化交流が盛んになった時代でもありました。

この時期、欧米では東洋の美術や文学、宗教に対する関心が高まると同時に、東洋は「エキゾチックで神秘的な土地」と単純化されたイメージも生まれることになりました。

新しい土地や資源を求めて世界各地に進出し、自然を支配することで生活の向上を目指していたヨーロッパでは、東洋の自然と調和した暮らしや文化は新鮮で魅力的に映ることがあったのでしょう。

それでも、異文化に対する不理解から誤解や批判が起こると、花言葉にも同じ批判が向けられ、社会は多様な感情が入り混じる複雑な状況に置かれていました。

 


 

花言葉について調べる中で、私がとくに印象深かったのは、古い詩に描かれた美しい自然の風景です。詩人は詩を書くことで喜びや悲しみ、祝福を表現していたことに初めて気が付きました。その(思ったよりも長い)感嘆詩を読みながら、まるで目の前に美しい花々の咲く草原が広がり、しばらく自然の風景の中に溶け込むような穏やかな気持ちを感じるほどでした。

Your Image

Daffodil

from Türkiye

 

言葉には特別な力があるようで、目の前に知らなかった世界が開いたとき、自分の中の新しい感性や視点に気付き、視界が広がっていくことを改めて感じました。たくさんの画家や詩人たちが自然からインスピレーションを受けた作品を残しているのは、感受性豊かな印象を表現することに個人的な(または普遍的な)美しさを見いだしていたのではないかと思うのです。

とくにこの時代に隆盛を極めたロマン主義は、自分の内なる表現、つまり何よりも感受性を重んじていたのでそう感じたのだと思うのですが、美しいものを見て、美しいと感じた気持ちを「あなたもそう思ってくれたら嬉しい」と伝える静かなメッセージだったのかもしれません。

感情や思いを伝えることは永遠のテーマであり、ビクトリア時代の花言葉は、言葉では伝えきれない想いを届けるラブレターだったのです。ロマンティックですね。

 

+salãm,


参考文献: